AniPAFE2022作品「AI Kyoko」でやりたかったこと書き散らし
・テーマについて
今回のテーマは「新時代」にしました。裏テーマは「不自由」だなと思いました。
AIが発展してきたことによって、なにが"簡単に"できるようになったのかというと、「絵(特殊映像)が作れるようになった」、「(一応)曲が作れるようになった」です。これまでのMADの原点を考えると、曲と映像の組み合わせで面白いものが作れるという点だと思います。ただ、近年は静止画MADに代表されるように、既存絵を使って魅力的なオリジナリティある映像を作ってMADにするものが多く出てきて、発展もしています。この背景にあるのは、映像制作技術の進歩だと思う。要は映像制作の敷居が下がってみんな作れるようになってきたんだと思います。ただ、曲を作って組み合わせている人はごく少数(いた気がする)で、MADの評価というのは選曲賞と呼ばれるように曲がどれだけ原作にマッチしてるか、シンクロしてるかが焦点となっているのが現状かなと思います。ただ遠くない未来、曲もAIによって制作することができるようになるはずです。そうなるとどうなるかというと、原作に完全シンクロする歌詞の曲でMAD作ることができちゃう。そうなると「作曲賞」みたいなぜんぜん別の評価軸が必要になってくるかもしれない。そうなるとまとめて「楽曲賞」かもしれませんね。
そうなってくると、結局大事になってくるのが「何を伝えたいか」だと思います。技術はわりと時間とお金でなんとかなるものが多いのですが、感性的な部分とか情熱とかはいちばんその人らしさが出るし、技術や世代がわりと関係なく盛り上がって楽しめる部分だと思うので、いちばん大事にするといいなじゃないかなと思います。
(そのうえで自分語りをすると、自分がMADを作る肝になってるのは、「杏子ちゃんの魅力を最大化したい」「杏子ちゃんとポッキーゲームしたい」です。とにかく杏子ちゃんを軸に楽しみたい!杏子ちゃんで映像も作りたいしMADも作りたいしフィギュアも作りたいし3Dモデルも作りたいしゲームも作りたいし小説も書きたいし、それらをぜんぶまとめて受け入れられる受け皿がMADなのでMAD界隈で楽しんでます。)
で、AIが発達することでできることが増えて、欲が出ちゃうと思うんです。絵も作れちゃう、映像も作れちゃう、音楽も作れちゃうとなると、ぜんぶ自分で作ったMADも作れちゃう気がします。それが楽しいかどうかはさておき。なので、AIによって作品の制作コストが部分的には下がっても、全体として見れば個人個人の現界まで突き詰めるという点で言えば変わらないかもしれない。ただ、欲が出た結果、AIを使わないといいものが作れないって思っちゃう可能性がある。そうなるとAIを使うことに縛られちゃうので、逆に不自由を感じるのではないか。そうなると全体として自由度が低下する気がする。MADは自由であるべきだと常々思ってるので、AIに縛られずに自由気ままに楽しく作るのがいちばんだと思う(唐突な結論)。
いろいろ考えさせてもらえたコメントとか
てつさん「AIが作るとはいえ、結局そこに至るファインチューニングで自分らしさは出るとは思ってる」
たけつきさん「自分の感じたことを言葉にできるならMADとして成り立つか。そこしかもう自分がない」
まさかさん「AIに作らせるんじゃなくて、上手く活用した一歩先の創作を創造したい」
たけつきさん「切り貼りMADだけは最後まで個人の裁量が残る部分で人間が生き残りそう。一番人間の情感に頼ってる気がする。」
「愛で狂っていればMAD」
D.S.Kさん「あぁ、この曲アニメに合うのかぁってなる方が選曲上手いってなるけど、公式OPであってても選曲すごいには自分はなんないかなぁ」